F35墜落の報道を見て

9日夜、空自の最新鋭戦闘機F35が墜落したと、NHKの「ニュース9」で知りました。

 

パイロットの無事を祈るばかりですが、同番組の報道姿勢に、妙な違和感をいつもながら感じました。まるで津波速報のように、ただ墜落の事実を連呼して、何の意味があるのか首をかしげてしまいました。

 

もちろん、パイロットの安否が不明で感情的になる面もあるのかもしれませんが、この番組の安全保障や軍事に関する見方を考えると、戦闘機=危険との安直すぎるイメージ操作をしているのではと勘ぐってしまいました。

 

同番組では、昨年の佐賀県での陸自AH64D墜落事故の際にも、「住民は不安な一夜を過ごすことになります」と、まるで大地震後の余震が続いているような表現をしていましたが、墜落事故後の夜も同型のヘリコプターが飛行しているわけでもなく、違和感にとらわれたことを思いだしたからです。

 

まずは墜落原因の究明が待たれますし、もちろん、F35が構造的に欠陥を抱えている可能性も現時点で100%否定できないことでしょうが、福島の原発事故後の100%安全でないなら認めないという“安全神話”を求めるような短慮は避けたいものです。

 

また、パイロットの安否は当然気がかりですが、それを一旦脇に置いて何のための訓練かを考える必要があります。本番(発生しないことをもちろん望みますが)前に、兵器やその運用方法の弱点を知り、それをカバーする、あるいは、“最新鋭”兵器が実は役に立たないことが判明したとしても、本番前だから良かったとも言えるのではないでしょうか。

 

理屈を抜きにして人の生死がかかっているからこそ、少々センセーショナルに取り上げることが必要との意見もあるでしょうが、果たしてそれほど一般的にメディアは自衛官に思いを寄せているのでしょうか。

例えば、1950年の警察予備隊発足以来、殉職自衛官は1,900名を超えており(平成30年版防衛白書)、毎年、首相も参列する自衛隊殉職隊員追悼式が執り行われていますが、メディアが大きく取り上げているようには、思えません(私が見逃しているだけかもしれませんが)。

 

一度事故があると、「羹に懲りてなますを吹く」になりがちな世論が依然強く、ありえない「安全神話」を求めがちですが、素人ながらも軍事について知り、訓練の目的や意義を素人なりにも理解する必要があると考えさせられました。

 

最後になりますが、パイロットの無事をお祈りし、また墜落の原因究明と事故の再発防止をお願いしたいところです。