日本はどうすれば在日米軍と対等になれるのか

『「お友達は日本だけ」? 米軍の地位協定、日本と欧州ではこんなに違う』との記事が5月7日の沖縄タイムスに掲載されていました。


記事によれば、同じように第二次大戦で敗北したドイツは、日本のような扱いは受けていないとのことです。


沖縄に米軍基地が集中し、その負担の軽減が必要なことを明白にしても、「お友達」をどうしたらやめられるのかについて、疑問に思ったことを少々。


第二次大戦後に武装解除、非軍事化されたドイツと日本は冷戦が深刻化するなかで、再武装していきます。


装備の話を脇においても、安全保障について両国では根本的に姿勢が異なっていることが、駐留米軍との関係にも影を落としていることは見逃すべきはないでしょう。


もちろん、ドイツは東西分割され、冷戦の最前線だった故に、より現実的な安全保障政策を採用せざるをえなかったという事実はあるでしょうが、安全保障に対する根本的な考えが、日本と全く異なる点を無視できないでしょう。


極論すると、相手が軍事的パートナーか、それとも保護対象かで対駐留米軍関係が決まるのではないかと思うのです。


ドイツ(旧西独)は1954年に憲法にあたる基本法を改正し、名実ともに再軍備を果たています。さらに、集団自衛権を行使するNATOにも55年に加盟しました。

自分の国は自分で守る、ただ守ってもらうだけでなく、仲間が攻撃されれば、自分も危険を冒しても、仲間を守る義務を果たすことを法的にも明確化したのです。
実力差はあるにせよ、形の上ではパートナーと言っていいでしょう。


一方日本は、装備の面では再軍備を果たしたものの、憲法に限らず、60年に改定された日米安保条約でも、守ってもらうかわりに、基地を日本に米軍が駐留することが規定されるなど、受け身、あるいは現実逃避してきたのが実情でしょう。

もちろん、冷戦時代にもソ連潜水艦を自衛隊との協力して補足してきた事例などのように、自衛隊は米軍にとっても非常に重要なパートナーです。
しかし、法的、政治的には、ドイツと同じパートナーと言えないことが、問題を複雑にしているのではないでしょうか。


また、日本に基地を置くことは日本のため以上に、アメリカのためでもあります。

現に在日米軍の役割も、単に日本の安全を守るのではなく、「極東」「太平洋地域」の平和を守り、さらに「世界」の平和を守ると在日米軍のウェブ上には記載されています。

 

この点だけでも、日米安保が純粋に日本のためだけに存在するわけではなく、広大なアジア・太平洋地域、さらには、その先にあるアメリカの権益を守ることをうかがわせています。


在韓米軍や欧州各国駐留の米軍はその駐留地やその周辺地方の防衛が主任務ですが、日本にある米軍基地は日本・その周辺の防衛以外でフル活用されてきました。


ベトナム戦争においても日本が後方基地として重要な役割を担いましたし、米海軍第7艦隊が母港を、自国ではなく日本に置いているのも、その基地としての機能の高さ故のことなのです。


米兵が犯罪を犯しても、全てを日本サイドで対処できないことは大問題かつ屈辱ですし、一国民として改めなくてはと切に思います。

また、在日米軍基地は日本だけでなく、アメリカの利益になっていることを考えれば、駐留米軍との関係で、日本は本来もっと自国の利益を主張できると思えてなりません。


もちろん、有事の際に第一義的には自国の防衛は自国で行うことになり、米軍が全面的に矢面に立ってくれるわけではりません。
また、実益状の貢献は大と言えども、基本精神でさえ他力本願な国はパートナーとして認められないのか。


それが駐留米軍との関係に影響していないとは到底思えないのです。
やはり平和願望ではなく、現実的に平和を維持するための軍事に目を向けることが重要ではないかと改めて思う次第です。